ちびあり自転車乗りのブログ

低身長なロード乗りの日記。半年の病気が少し改善し、やっとリハビリ開始!

【第1回】自律神経失調症と冷え症とパニック的発作の話[忍耐期]

ワタクシは幼少期からかなり重度の冷え性アトピーを抱えていました。小学生の時、ある日家族で夕飯を食べていた時です。私の足が兄の足に当たった時兄の体は跳ね「なんだお前の足!氷かよ!」とツッコミを受けたのを今でも鮮明に覚えています。

それほど酷くてもしんどかったという記憶が無いのは遺伝だったのか記憶あるうちからそれが当たり前だと思っていたからです。(実は遺伝とかの話は詳しくできるのですが今回の趣旨とは関係ないので別の記事でします)

しかし冷え性という存在そのものを高校生くらいまで知らなかったので「あ、これって女の人に多い冷え性なのか」と(当方男です)。

 

 

熱中症(熱疲労)

以前の私の倒れたときの記事を読んで頂いた方はご存知かと思いますが、8月に熱中症で倒れました。(室内のローラーが原因です。)4日間ほどは寝る時以外今にも吐きそうな感覚が延々と続く感じです。物は当然何も食べられません、飲み物も1日でコップ一口飲めるかどうか。たまたま倒れた程度ではここまでアカン症状が出るはずないと思ってたので近所にある内科に行きました。

 

診断は「お腹の風邪、ですかねぇ?」

 

え、お腹の風邪ってそんな何かをきっかけに発症する代物じゃなくね?とは思いましたがとりあえずもらった薬を飲みました。

一時的な復活と巻き戻し

受診後1週間薬を飲み安静にしましたが状況はほぼ変わらず。連日続く吐き気と食事のとれない状況が8月の最後まで続きましたが夏休み明けに学校に行くとしんどい部分はありましたがかなり収まったようでした。そして9月の2週目くらいでしたかね?やっぱり体調が酷くなり学校に行く力も無くなりました。

とある薬局にて。

私の父が昔ガンにかかった時にお世話になったある方のところへ行くことにしました。そこで先生に診て頂いたときに「熱中症をこじらせた可能性がある」と言われました。そんなことがあるのかと疑問に思いましたが、

 

冒頭でお話しした冷え性です。こいつが体調不良の威力を倍増させていたらしいです

 

漢方とか、東洋医学では舌診というものを行うことがあります。舌の色で体調を把握することが出来ると。この時の私の舌は「真っ白」だったそうでとんでもなく酷い冷えが私の体に到来しておりました。確かにこの時1か月近くろくなものを食べなかったせいで元々50㎏(160㎝)だったのが41㎏程度まで落ちていましたから冷えやすくもなっていたのでしょう。全身のあらゆる部位が氷の如く冷たくなっていました。しかもこれから寒くなる時期。運が悪いとかそういうレベルの問題ではありません。

ちょっと整理しましょうか。

1熱中症が「引き金」で自律神経が乱れた。

2もともとの体質的な問題で冷え性が凶悪的なレベルだった

3目が覚めている時は絶え間なく吐き気があることにより飯を食べず体重が激減。 ↑テレビでやっとるようなダイエットより100倍効果ありましたよ。痩せませんでした、やつれました(笑)

この時期の段階ではここまでの知識が限界でした。それが悪かったのでしょう。ここから半年近くの文字通り「地獄」が待っていました。(hellじゃhell)

恐らくこれから先あれほどの地獄は2度と体験しないでしょうし、絶対したくありません。

実は私その時受験でした。つまり9月時点で試験まで5ヶ月しか無かったのです。

しかもこの上記の体調で学校の授業に単位を取る為に出席し授業を受け定期テストも受ける必要がありました。これに絶望しない方がいらっしゃったら是非友人になりたいです。コメントしてください(笑)

 

第一地獄「水地獄

10月が地獄第一段階です。学校に行く手段は最初は自転車でしたが(7㎞程度)、朝食及び水を取ると100パーセントとんでもない吐き気が出るので乗れなくなりました。関係はないですけど倒れた時にしていたことが自転車でしたからね、一時的な恐怖症になり乗れなくなり、甘えではありますが車での送迎をしてもらいました。

恐怖からパニックへ

そしてタイトルに書きました二次的な弊害でパニック症状に近しいものが出ます。1か月以上ずっと吐きそうな状態が続いてるので学校の授業中に平然と耐えられる気がせずそれだけで恐ろしくなりました。ですが単位を取らなければ卒業が出来ない。どんな状況でも可能な限り行かなければなりません。授業中は吐き気とそれによる多量の生唾を50分間我慢し、冷えによって青くなった(紫かな?)爪に息をかけ温めました(無駄でした^^)休み時間はひたすらに机に突っ伏して我慢。水をコップ1杯弱を一度に入れると胃がひっくり返るかのような吐き気が1時間以上続くので学校では断水。家でも一瞬吐き気が収まった時にちょっと入れる、という感じの生活。

ちなみに食事は1日に1回おにぎり1個が食べられるかどうか。

歩けない

歩くと吐きそうになるから。

 

10月の歩けない時の感覚は「水素爆弾をもって目隠ししながら綱渡り」です。

気を緩めると吐きます。(吐くという行為は私が色々な病気の中で最も嫌なことで嘔吐恐怖症みたいにもなってるのでここまで拒絶しています。)歩くのも恐怖。立つのも恐怖。しんどすぎて泣く力もないほどでした。頬はこけ、上半身の筋肉はほぼ全て無くなり並大抵の骨皮ではございません。

それを1ヶ月くらいやってたんですけどさすがに精神的におかしくなりかけたんで(マジで)11月の8割は休むことにしました。まぁ1ヶ月休んでも大して変わらなかったんですが12月になって足湯を頻繁にし、24時間湯たんぽを抱え続け24時間続いていた吐き気は収まり始めました。しかしまぁ吐き気はありますよ勿論。ちょっと弱まったんで少し自由に「歩ける」ようになりました。

第二地獄「灼熱地獄

 12月は焼けました。実はいい方向に戻ってきた証ではありました。

どういうことかというと、11月まで胃腸が冷え切り動きが皆無でした。それが少し改善し胃が動き出したのですが数か月食事量が10分の1になっていたことで胃の粘膜がかなり薄くなっていたのです。胃が動くということは蠕動運動及び胃酸の分泌が促されるということです。

なので粘膜が無い所に調整の無い酸が降りかかったらどうなるか。

 

「下手に焼けます」(ふざけんなマジで(^--^#))

 

 冷えが落ち着くまではひたすら忍耐。それが終わったら粘膜の修復作業。これは継続的な食事でしか回復させることが出来ませんので、じっくりゆっくり食事量を増やさなければいけないのです。

「おいおい、、。こっちには時間ないんですが、、?」

12月、センター試験は1か月後、というかこの事実が判明したのが12月の中盤。あと半月ちょっとで1日拘束される試験会場に行くのか?本当にこの時は絶望し今年は受けることも無理だと確信しました。センター試験と私大の試験が4つほどあったので。(実際に浪人してますケドね。)

ここから体調vs試験の戦争はまた今度書きます。

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 余談

 

因みに。いっつもロードの机上の空論やってる私がこんなことをやっているか。2度と忘れないようにするためです。いやでも忘れることなど出来ませんが数年たてば地獄の経験は薄れ、この時の鮮明な記憶というものは改変されていきます。このはてなブログというものが無くならない限りここに残るので当時の記録としてまたいつか見ることがメインの目的です。まぁブログにする必要もない気もしますが見られていると思った方が筆も乗り、気合も入るということで、、。

 

今回はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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